2025/09/10 18:28
おとなのいう「忙しくて」の内実を掴み損ねたままで、わたしは30歳になった。そもそも「忙しさ」に内実などありはしないのかもしれない。そのへんの事情も含めて、わたしの知らない何か真理があるのだろうと決めてかかって、追及しない。仲間になろうとするから仲間はずれにされる、それこそが真理であると、わたしはこの30年間で学んだ。夫が私の乳首を摘まんでいるのが見える。このひとがわたしにするこういった行為にかんして、わたしは何の見取り図ももてなくなっている。そもそも、夫をこのひとと呼び始めたのはいつ頃だったか。のり付けされた紙同士が経年劣化でぺらぺらときれいに剥がれていくように、わたしたちはダブルベッドで背を向けながら丸まって眠るようになった。その日々に突然差し挟まれた夫の丸裸は、あまりに文脈も脈絡もなくて、わたしは何を思うのも間に合わなかった。わたしはiPhoneを手にして、この魂を掬い上げるための物語をつくるために、外向きのカメラのシャッターを切った。カショーイと耳に残るシャッター音が鳴って、夫の時間が止まった。
わたしはきゅうりをキッチンで刻んでいる。切っても切っても同じ色形の面が生まれてきて怖く、それはとても日々というものの形にも似ていたので、わたしは肩からずり下がったエプロンのひもを引っ張り上げた。刻んだきゅうり、包丁の背でつぶしたトマトを、ミニ盛りにしてままごとのようなちいさなちいさな器に入れた。生きていたときはこれの10倍くらい食べていた。そう思ったら、少しだけ哀れだと思った。死人に口なしとはよく言ったものだが、口があってもこんなに少ししか食べられなかったら魂が満足しないだろう。それでももう、その空腹具合を触って確かめることもできない以上、私はこうして勝手に死人のはらわたの容量を決めつけて供え物をするほかなかった。
一年、二年、あっという間だった。茫漠と広がるスクリーンの上に、ひとつずつ杭を打ち込めば打ち込むほど、なにか手触りはすり抜けていく。もう夏のタオルケットも糸が出てぼろぼろになった。裸の写真を待ち受けにすることは控えたが、夫について思い出すときに一番に出てくるのはその姿だった。一糸も纏いたくなかったのか、一糸も纏えなかったのか、一糸も纏う余裕もなかったのか、そんなことも今は推測の域を出ない。ひとつひとつの可能性を吟味してみても、上手に盛られたランチプレートのようにそれぞれの可能性はバランスよくばらけて彩るばかりだった。自分のためにつくったランチプレートが、まぶしくて目を細めながら食べる晩があった。キャロットラペもピクルスも、ひとりで食べるにはうるさすぎる味をしていた。目をつぶって味わわなくても、舌に突き刺さってくるようなそんな味。ビーフストロガノフ、シチュー、ポトフもみんなそんな風な味付けになっていて、それはわたしがひっきりなしに繰り出される夫の職場の話に張り合って、負けじと主張するために編み出したわたしなりの表現形態だった。夫はそれにコメントをしたことは特になかったことを思い出す。
